ロリィタノイロォゼ ワンマンライブ ”シェリシュ” 観覧記

1/13 渋谷恵比寿天窓.switchにて

 ロリィタノイロォゼ ワンマンライブ「シェリシュ」を観覧しました。

 日付を跨いで0時過ぎから1時間は、必ずロリィタノィロォゼの楽曲を聴くことをライフワークとしている私は、去年参加予約してからこの日がやってくるのが楽しみで楽しみで。。。

 

ライブ参加履歴は、前年春の゙noce゙、秋に渋谷ギルティで開催された合同ライブ、そして今回の゙シェリシュ゙で3回目となります。 

 

それでは早速、感想に入ってしまいますが、゙noce゙の時よりもさらに表現が深化されているとお見受けしました。

今回私は最前列の、演奏されている様子が全て見える席にて、ほんの2mくらいの距離から観覧できたことも要素として働いているとは思いますが、心を揺り動かすエネルギーの強さが、こちらの想像を遥かに超えていて。

"noce"の時は3列目くらいだったので周囲の様子が見えて、涙を拭う女性の方がたくさんおられたのが印象的でした。今回は会場全体を察せられる状況ではなかったわけですが、言うまでもなく結果は同じであったことでしょう。

 

そして、「サテライトに祈りを」では、りみゆさん自身が最後、目を潤ませているように見えました。

私が、初めて聴いたロリィタノイロォゼの楽曲で。

今でも、一番好きな曲が「サテライト」で。

もちろんどの曲も丹精込めて作り上げたものだとは思いますが、その中でも、この曲には特別な「何か」があると私は感じていました。

 。。。やはり、そうだったのですね。

 

 

私は、「音楽性」とはまさに上記の「心を揺り動かすエネルギーの強さ」であると定義しています。

りみゆさんは、ピアノ演奏の技巧も、声質の良さも素晴らしいのですが、根源的な魅力はこの意味での「音楽性」が突出しているのです。

twitter上でオーディオ趣味のフォロワーさんと交流を深めていく中で、4~5人ぐらいにロリィタノイロォゼの楽曲をこれまで紹介してきましたが、やはりこの「音楽性の強さ」に言及されることが多かったです。

象徴的なのが、「箱ピュア」管理人ぱすてるぴあのさんで、

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ぱすてるさんは学生時代、ピアニストになる道を目指されていましたが、様々な事情により志半ばで挫折された経験を持つ方であります。

一度議論が始まると怒涛の文章量が投下されるので私は愛をこめて長文大魔王さんと呼んでおりますが、

長らくクラシック音楽に精通され、オーディオに対する取り組み方も独自の視点をお持ちな方で、彼とはこれまで膨大な(1000往復ぐらい?)量のDMをtwitter上でやりとりしてきました。

いくつか抜粋して私の方で解釈したものを挙げますと

・オーディオ機器の金額と「音源から音楽性をどれだけ引き出せるか」について、相関性はまるでない

・そもそもクラシック界隈において国内に音楽性の豊かな演奏家が少ない

・それは教育の現場で指導者自身が意識的・無意識的両面から音楽性の芽を摘み取ってしまっているから

 ぱすてるさんはこれまで同人音楽というジャンルには踏み込んだことのない方ですが、私は彼がりみゆさんの楽曲を聴いてみて、どういう感想が返ってくるのか、おそらく私の抱いている感覚が伝わるんじゃないかと思っていたのですが。

 

YouTubeで聴いても心が揺さぶられる感覚が伝わりますから、稀な才能ある方だと思っています」と。

ぱすてるさんはとても謙虚な方で、そしてクラオタとしての矜持から、りみゆさんの楽曲について、よく勉強してからライブには参加したい、とのことでした。

私にとっても、いつかお会いしたい方のひとりです。

 

 

ライブから話がどんどん逸れていっている気がしますが、あえてこのまま続けますと、この「音楽性」とは、先天的な資質と、これまでの生き方、経験、パースペクティブ(ここでは哲学的な真理を眺める視点)の総体から滲み出てくるものだと考えています。

クラシック演奏においては楽譜を丹念に読み込んでいくことも必要ではありますが、しかしそういった「反復練習」だけでは音楽性は養われないのであって。

音楽活動を続けていく中で、鍵盤と向き合うそれ以外の場面において、どれだけ感性のアンテナを巡らせて、吸収していくか、それが後々になって楽曲の「音楽性」として昇華されるのではないかと。

 

りみゆさんの「哲學とシュルレアリスム

私はそれを見続けていきたい。

 

 

さて、ぱすてるさんが主張されていた部分の一箇所に話を戻します。

・オーディオ機器の金額と「音源から音楽性をどれだけ引き出せるか」について、相関性はまるでない

 ここです。私もこの点については大筋で合意しています。

私の場合、「ライブ観覧した際の心の振れ幅に、家で再生してどれだけ近づけるか」ということを機器やケーブルその他の選定判断基準にしていまして。

("ノス"→"シェリシュ"で大幅に基準が更新されました(笑)

オーディオショップとか、イベント会場とか、ああいった場では機器の真価を判断するのは難しい部分がありますけど、でも色々聴いてみてやっぱり全体論として「価格と音楽性は比例しない」というのが正直なところです。

それどころか、高価な機材って「痛い音を出さない」ように後加工された質感が、そこが「何か言いようのない違和感」として絶えずまとわりついてしまって音楽的な内面に入り込めないことさえあるのです。近年のDACってこういうのがとても多くて・・・

 

生のライブの音楽性の素晴らしさはもちろんですが、それがCDにもきちんと封じ込められていることは十分に感じ取れましたので、私はできるだけそれを「失いたくない」んですね。

なので判断基準が「オーディオ的な指標としての解像度や分離」ではなく、「音楽的な内面に『自然に』入り込めること」となります。

近年はハイレゾがどうのってブームになってて、芸のないハイレゾマークなんか製品に貼ったり、製品開発はそれに合わせて無理やり再生可能帯域を40kHzまで引き上げたりしてますが、でもそれって「音楽性を伝達すること」に寄与していますか?

私にはまるで明後日の方向に行ってしまっているような気がするのですが。

アップサンプリングで間延びさせたデータをデジタル的な補間で穴埋めすれば確かに理論的には滑らかで綺麗な音にはなります。しかし私には「綺麗なだけで心を揺り動かすエネルギーは逆に弱まってしまっている」ことが多いと感じます。

先述の、そのような「言いようのない違和感がまとわりつく」機器を選んで自室に迎え入れてしまった時点で、(大袈裟な表現ですが)私の「音楽生活」は崩壊してしまうのです。

つい最近も、お借りした1本のケーブルが、性能の高さ・解像度や密度の濃さに目が眩んで、何かどうも違和感はあるんだけれど、つい「買い取らせてほしい」と連絡を入れてしまうところでありました。結局は踏みとどまったわけですが。

(この話の詳細は次回記事に回します)

 

 

。。。脱線したまま収集がつかなくなりましたのでこれで書き終えることにします(

 

春のM3が、今から楽しみです。。。