AudioQuest「JitterBug」

www.audioquest.com

 

接続方法としては、kripton UC-HRには使わずに、隣接するUSBポートに挿していますが、その先にEVA-U15のアース用USBケーブルが繋がっています。

www.escart.jp

 

この配置になったのは、

 

・単純にnotePCに空きUSBポートがない

・左側2個(USB3.0)、右側1個(USB2.0)の仕様で、右側にはマウスとキーボードが繋がっているハブがありますが、それに対して使うよりは左側のEVA-U15アース用USBに使用しているポートの方が良好な結果が得られたから

 

この2点が理由になります。

 

また、購入初日はKtripton UC-HRに挟む形で直接オーディオに組み込んで使用しましたが、どうも納得がいかない音なのですぐにやめました。

www.kripton.jp

 

というのも、確かにS/Nの改善具合は直接オーディオに組み込んだ時が一番大きいのだけど、どうも直接音ばかり入ってくる印象で、空気感とでも言えるものが消滅してしまったことに加えて、ちょっと音が「明るくなりすぎる」のです。私の場合、ifi iPurifire2と併用していることが、この結果に影響を与えている可能性があります。

ifi-audio.jp

 

「間接的に」影響が及ぶように使用すると、この作為的な雰囲気は前面に現れなくなります。

機器所有者における自由問題と、音の本質について

Aという物を購入した場合、その使用法は「他者に害を与えない限り」原則的に購入者の自由となる。

しかしオーディオという世界では、しばしばその商品の使用方法、さらにはその商品の存在意義自体が揶揄されることも多々ある。

 

アンプやプレイヤーにインシュレーターってやっぱりオカルトなんでしょうか? - Sound Field ~オーディオのまとめ~

(M)アンプ接続部に挟む綿とか、プレイヤーのサイドに置くインシュレーター、アンプの上にのせる専用金属板などなど多彩な商品がございます。が、これって製品に対しての侮辱じゃないかと思う訳ですよ。確かに爆音を出せば部屋全体が揺れますよ、アナログレコードなら音が飛んでもおかしくありません、CDプレイヤーでも同じようなことが言えるかもしれません。だからこそ開発者だったらそこまでちゃんと計算して作っているはずです。早い話優れた製品にはそういうのは不要だねっていう、スピーカーの話です。

>>製品に対する侮辱

勝手に製品開発者の思惑を推量して断定すべきではない。

 

前々から思っていたが、まとめブログの管理人はこうした「自らの見解」を開示することには、慎重になるべきではないか。

 

 

抗議文はこの程度にしておいて(

数か月ぶりに中野に出向いて、PASS「HPA-1」を視聴しました。

Burson Audio Conductor V2+

→PASS HPA-1

 →HD800

 

DCHP-100と基本的な傾向としては似ています。正常進化形とも呼べるのではないかと。

クリアかつワイドレンジで、低音に十分な量感を備えています。

近年の高価格帯はバランス接続対応が当たり前な雰囲気でしたが、PASS HPA-1はRCA入力→シングルエンド出力。

非常に充実感のある音です。空間表現重視で一定の距離を保つ鳴り方よりも、音像の実在感を取りにいったのかなと思いました。

「ヘッドホンらしい音」で、私はこちらの方が好み。

合わせるDACについては、DSD変換するものよりPCMで出すタイプの方が合うような感じがします。あくまで推測ですが。

 

余談。

視聴用PCのプレイリストが「よくわかっている曲(私が普段聴いている)」ばかりで非常に助かりました。

I'veとかDucaとかeufoniusとかやなぎなぎとか。誰ですかあのリストを作成したのは(

 

なかなか視聴することも他では難しい機種です。

今回は何か「お布施」してもいいかなと思って中古のアクセサリーを眺めて、

これを買いました。

 

 あまり期待はしてなかったのだけど、結構これ効きます。

Intensoの足底についているゴムの音というのが、確かに今までは存在していたということがわかります。

つまり、「ゴム足込みで調整していた低音」という要素が外れるということです。

 

さて、ここでひとつ「解釈問題」というのを、無理やり設定してみようと思います。

Intensoは、元々付いているゴム足を接地させるのが「正しい使い方」であり、開発者の目指した音はその条件のもとで達成されるのであり、社外品のインシュレーターを使用することは開発者に対する冒涜である、と。

 

こんなことはわざわざ論ずるまでもなく、そんなことはないのだし、そもそも前提からして様々な点において破綻しています。

 

音というのは、最終的にスピーカー・ヘッドホン・イヤホンで発せられた状態において判断されるものであり、その過程において、

「音の要素を、『特定の部分として完全に分離して捉える』ことは不可能である」ということです。

 

他にも指摘できる点は色々あるのですが、まぁ面倒なので省略します。

とにかく、「正しい使い方、正しい音なんて自分で決めていいし、それに固執する必要もないし、少し脇道に逸れながら戻るのを繰り返してくのが趣味ってものでしょ」

 

そして、その「一見必要性を感じないと思われそうなもの」にこそ、その人の音に固有な『色』として形を残している。

存在しながら死に続けるxx

小学4年の頃。

私は、「私が死ぬ」ことについて酷く恐れていた。

この意識も、眼前の光景も、いつかは全てが永遠の無となること。

一度「それ」に囚われてしまうと、視界は瞬時に暗転し、黒で埋め尽くされた。

 

学校の授業中。

帰宅後、入浴中に。

家族旅行で、動物園に行っていたときでさえ。

 

黒。斑に白い点が見える。それらが、私から遠ざかっていく。

 

それから数週間後、私は原因不明の嘔吐・断続的な吐き気に「一ヶ月も」襲われることになる。

何度病院に行っても、精密検査までも行った結果は、「原因不明」であった。

私は、これを「当たり前のことだ」と思った。そして、決して口にしてはならないということも知っていた。

私にもたらされたものは、私自身が生成しているだなんてことは、決して。

 

この「体調不良」は、母が犬を飼うことを提案し、隣町から子犬をもらってきたことにより一応の回復を迎えた。

 

 

あれから12年後。

私は、「自死問題」を解決するべく、哲学に傾倒する。

実際には、中島義道の「哲学専門書以外の著書」ばかり、読んでいたのだけど。

 

「この世界は確固としたものだという錯覚に陥るのは、言葉のせいである。

…言葉が刻々と変化し続けるものを、時間が経過しても変化しない「一つの物」とみなす錯覚に導くのである」

 

この一文は、大きな手がかりとなったことをよく覚えている。

他にも、彼の無数の言葉は私の「世界認識」に明瞭な輪郭を与えてくれた。

 

 

 

 

それでも。

「認識」はできたとしても、それがただちに「この私の死」の解決には繋がらなかった。

相変わらず、死は「それを考えだしたら、恐ろしいのに、やめることができない」ものであった。

 

 

そんなある日、突然、私は鮮烈な音楽と出会った。

密やかな恋に落ちた。

ロリィタノイロォゼ

 

私はこれまで様々な同人音楽を聴いてきたが、この感覚は、全く初めてのものだった。

この世界は、彼女にしか創りえないものだと、すぐに直観した。

 自家通販のメールフォームから在庫のある作品は全て注文し、1週間後に1枚を除き到着した。

残りの1枚は、在庫がなかったのか、それとも同梱し忘れたのか、さらに1週間後、茶封筒に手書きの文字で書かれて送られてきた。

 

毎日、欠かさず再生した。

何度も何度も、完全に記憶していても、全く飽きることはなかった。

そして今日、ある曲のplaycountは300回を超えた。

私が、ここまで特定のartistに入れ込むのは初めてだったし、今後もないのだと思う。

 

 初めて聴いた日から、半年が過ぎたころ。

このtweetを投稿したときから、今思えば、無意識下において私の中で何かが変化し始めたのかもしれない。

私は、あまり中島義道の著書を読まなくなっていった。正確に言えば、読まなくなっていったこと自体、意識することがなかった。

正面から、抉じ開けることに疲れてしまったのかもしれない。

面倒な、捻くれた、それでいて脇目も振らず、「強引に力強く」語られるより、

ただ、純粋に心地よい気分になれる時間を、自然と選んでいた。

 

 

段々と、日々の仕事が、私自身を吸収していく。

大学を出てから、あまり社会に適応できなかった私だけど、今の場所は、どうにかなりそうだ。

「他者一般」は恐ろしいけど、「今、私の周りにいる人々」は、怖くない。

やはり私は、溶け込んでいるようなわけでは、ないようだけど。

それでも、「私の間合い」を受け入れてくれている気がする。

 

 

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 私はいつから、「この私」であることを固定化してしまったのだろう

細胞も、何ヶ月か経てばすべてが入れ替わってしまうそうではないか

記憶だって、「私がこのように断定した」だけであって、そのほとんどは事実と隔たりがある

事実でさえ、私がその事象に対して「正しい」というラベルを貼りつけただけなのではないのか

 

私が今、「生きている」

これも、「生きている、と定義している」に過ぎない

 

・・・・・・

 

全ては、私が決めていいんだ

世界の側から与えられるような錯覚に陥ってしまうだけなんだ

 

「14時57分に私と会話を交わしたT氏」は、今は存在しない

17時10分。私の眼前に存在する者に、私は「あのT氏」という意味を与えた

 

「この私」についても、何ら変わることはないのだ

 

私は絶えず生起する

私はその都度、消滅する

ただ、その無数の発生と消滅の中から

まったく気まぐれに、適当な幅をもって「私は生きていた」と表現する

 

ただ、それだけのこと

 

あれから、13年。

私は小学生の頃から、すでに「J-POP」に馴染めない捻くれ者であった。 

中学2年だったろうか。PCを所有して最初に聴いた音楽は、crankyのPositive 3rdであった。

www.youtube.com

 

以降、BMSやdancing☆onigiri、音楽公開SNSmuzie」を通じて、TranceやEuroBeat、Technoにd'n'bといった音楽に系統していく。

特に、激しさの中に哀愁が感じられるものを好んだ。

www.muzie.ne.jp

「Ride Out!」「Digital Confession」「Straight Soul」「Another Heaven」

 

当時好きだった曲を、ジャンル分けせずに続けて貼っていこう。

 

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私はこの曲からI'veを知るという(

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時系列無視で大量になってしまった。これ以外にも山ほどあるのだが、また別の機会に(

近年では私も同人音楽CDを集めるようになったが、学生時代はBMSやdancing☆onigiriといった音ゲーmuzieや個人HPで公開された音源を聴くことがほとんどであった。

こういう環境で育ってきたので、邦楽アルバムが1枚3000円で売られているというのがまるで理解できないのである。

しかも、artistの取り分は1割にも満たないらしい。

同人ならアルバム一枚1000円、シングルであれば500円。

私の場合、好きなサークルでも新作をあまり追わずに初期・中期の作品ばかり重んじる傾向があるので、在庫がない場合は中古を探し求めることになる。そうなると、1枚200円、300円で買えてしまう。

本来CDなどそのぐらいの値段でいいのだ、というのは暴論であろうか。

 

同人出身の作家が、商業に進出して再度、同人の世界に戻ってくる光景を、近年よく目にする。

並行して活動するにしても、どこか「付き合い方」を考えているように読み取れる。

また、商業ラインには乗らなくても、普段は全く違う仕事をしていても、プロの力量を凌ぐ実力を持った人はいくらでもいる。

「健全な世界」だと思う。本来的な「artist」としての在り方。

 

さて、最近購入したCD、三澤秋「Stella Musica」であるが、creditを見て驚いた。

http://anraku.nothing.sh/akisora/stella/

作曲者にはonoken , naotyu- , Tsukasa , 大嶋啓之 , uchu-jin。

この中には、現在商業でも活躍する人もいる。

千葉直樹」と言えば、わかる人はいるのではないか。

きっと、creditに作曲者が記されていなくとも、私は曲を聴いて即座に気が付いたであろう。

皆、当時の面影が、ちゃんと残っていたのだから。

 

「まさか、あれから13年。一同に集結するなんて。」

(no title)

2016年6月に開設した当Blogは、6月の記事を見るとわかるように同人音楽について簡単な紹介を行っていたが、気が付けばその後はほとんどケーブルのreview、イベントレポートで費やしてしまった。

そのおかげで、だいぶ音は私の真に求める方向へ向かってきた。

起点となったのは、やはりHD800のケーブルをAnalysisPlusからAug-lineに変更したことであろう。

そこから、PAD AC TANTUS・zonotone NeoGrandio(プラグはジョデリカ無メッキに換装)さらにはインコネをWireworld Gold Eclipse 6 RCAへと、半年の間に音は様変わりし、「楽しめる音」になった。(SL-5000自体は非常に信頼のおけるケーブルであるが、やはり音楽的なエッセンスをもう一匙加えたかった)

 

春の時点では、DAC をアップグレードしてから、しばらくインターバルを置いてケーブルを変更する心つもりであったのだが、夏以降どうも誘惑に負けて気軽に買えるケーブルに手を付けてしまうことを繰り返した。

しかし、結果的にはこれが功を奏した。Intensoが本来持つ色彩と躍動感を完全に引き出すことで、確かにハイエンドDACの基本性能には劣るのだけど、「私だけの音世界」を構築することができ、結果的に満足する音が得られたのだ。

そしてそれは、ただDACのみをアップグレードしても決して得られないものであったように思う。ヘッドホン祭のUTOPIAの件でもそうだが、いくらDACとHPAだけ良くても、ケーブルその他セッティングがおざなりだと決して上手く鳴ってはくれないのである。

rays.hatenablog.com

 

2016年の総括は以上です。

今年度は、再び初心に戻って「音楽」に視点を移します。

だいぶmusic libraryも増えてきましたので。

簡単なfollowに留めますが、「こんな音楽があるんだ」ぐらいに感じてもらえればと。

昨年は東方が多かったですが、冬からはオリジナルを中心に集めています。

 

では、今年もよろしくお願いします。

 

P.S

 

WireWorld Gold Eclipse 6 RCA

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現行はSeries7です。絶縁材の変更ぐらいで、さほど大きな変革はしていないと思います。

定価20万→5万(しかも未使用品)で売られていたのでついつい飛びついてしまいました・・・

 

SAEC SL-5000を比較対象とします。

 

GEI6は低音ゆったりで量感多め。スピード感や音離れの良さはSL-5000の方に分があります。

高音の滑らかさ。これは今まで私が導入してきた物の中で一番の変化度合いです。

WireWorldはもっと派手な音と想像していましたが、子音を意識させてくるのはむしろSL-5000の方。

GEI6は中域の厚み、腹の底から絞り出してくる声が印象的。表現が豊かでカラフル。

導体は銀線ですが、線の細さは皆無でむしろ骨格がしっかりした印象です。

これと比較するとSL-5000はどうしても分析的に感じます。

 

基本性能に関してはGEI6の方が上ですが、価格差4倍ほどの開きはない。

現代の国産ケーブル、特にPCTripleCは優秀だと思います。

ただし、リスニングという「実用」では、やはり及ばないところがある。

J1 PROJECT 「RB175250」

www.audiounion.jp

元はスピーカースタンドの天板ですが、ナスペック側からバラ売りしてほしいと依頼されたようです。

これを、J1の電源BOX「PT2PDG」に使います。

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(カーテン邪魔・・・)

音質改善は、さほど期待してませんでしたが、意外や意外。これでもちゃんと効きます。

背景が一段と静かになりました。ボトムの沈みも、より深く。

同質素材で面が合わさっているので、相性も良いのでしょう。