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PCAudioシステム「第一部」完成

「全体図」

 

壁コン(2P×2口)

 

① AudioCurrent ALT-150

 →notePC (mouse computer製 corei7 / 8GB)

  ・AudioQuest JitterBug→mistral EVA-U15

  ・Kripton UC-HR→ifi ipurifire2→DAC

 

②SAEC AC-7000 (JODELICA ETP-850CU , 320CU)

 →AccousticRevive RAS-14

  →J1Project PT2PDG

 

   (1) PuristAudioDesign AC TANTUS (oyaide M1 / F1)

    →NorthstarDesign Intenso

     ・KRYNA C-PROP

     ・AudioQuest RCA-CAPS×2

     ・Wireworld GoldEclipse 6 RCA→HPAへ

 

   (2) zonotone NeoGrandio5.5Hi (JODELICA ETP-850CU , 320CU)

    →AudioDesign DCHP-100

     ・AudioQuest RCA-CAPS×8

     ・J1Project S35S-J

 

☆HeadPhone

Sennheiser HD800(recable:Augline 0.3mm単線×4芯 )

 

☆software

・JPLAY

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・JPLAYStreamer

・MinimServer

・LINN Kinsky

 

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PCAudioシステムが「現在のDACにおいて」完成を迎えました。

今後、DACを更新する機会があれば、それに合わせた調整がまた始まると思われるので、「第二部」開始となります。

 

完成に至った最後のピースが、DACに接続する電源ケーブルPAD TANTUSをoyaide M1 / F1プラグに換装することでした。

 

rays.hatenablog.com

rays.hatenablog.com

今回で3度目の依頼となりました。

M1 / F1 は制振構造が確りしていて、ケーブル自体は多少改造されたそうです。

また、最終調整で「新鮮」か「熟成」の選択を掲示頂き、「新鮮」仕様でお願いしました。

 

話は少し脇に逸れますが、TANTUSを作業して頂くために相手方に発送した後、ハードオフで詳細不明の電源ケーブルを購入しました。

5000円とは思えないほどずっしりと重く、ホスピタルグレードのプラグが装着されていました。

「しばらくの間、これで凌げるだろう」と考えていました。

しかしそれは、あまりにも甘かったことに気が付きます。

 

 

音出し直後。

「見た目通り、密度のある音だ。悪くないじゃないか」

20分後。違和感とも何とも言えない感じが徐々に気になり出します。

そういえば、DCHP-100に繋いでるはずのzonotone色が、全く消し飛んでいる。

こんなことは初めてでした。

「支配力が強い?いや、それ以前に、『音場の塗り潰し方』それ自体がおかしい」

 

ケーブルのウォームアップが始まったと思われるその瞬間、私はこのケーブルの致命的な欠点に気づきました。

「何だこのガラガラでしわがれた声は!!!」

 

2日目。状態に変化なし。5分でリスニング終了。

3日目。余計に悪化しているようにさえ感じる。3分で終了してベッドへ。

4日目。私は完全に諦めた。電源OFF。ケーブルを外し、押し入れに放り込む。

 

この日から私は一切音楽を聴かない生活へと突入します。

運の悪いことに、取り寄せて頂いたプラグに欠損(ひび割れ)があり、再度交換へ。

結果、1週間丸々音楽から離れる生活となりました。

せめて、PC-HR500だけでも残しておけばよかった・・・

(使わなくなったケーブルは、半年ほど経つと手放してしまいます)

 

現在は、もちろん毎日リスニングする生活です。

たった1本、ケーブルがいつもと違うだけで、音楽そのものが破綻してしまう。

これは逆説的に言えば、それだけ私のシステムと、認知感覚は鈍っていなかったということだと理解しています。

 

 

/// oyaide M1 / F1プラグの簡易review

・音像がキュッと絞られて小さくなるから、品の良さが出てくる

・前後の把握がしやすい(立体的)

・滑らかで、透明感に優れる

・ややcool(その中で有機的)

 

最近の視聴メモ

システムのうちDACやHPAに焦点を当てて記述

 

①フジヤ

・OPPO SONICA DAC (音源:デモPC)

性能は確かに価格破壊。実売10万の音ではない。

分離・S/Nは相当良い。人気なのも頷ける。

個人的には表現・表情がサラッと流しすぎ?

聴きやすさ重視で受け入れやすい音だと思うが、凄みは感じない。

emotionalな部分まで取りに行くのは、欲張りすぎか。

 

・exasound e22mk2+AudioDesign強化電源

視聴音源:持ち込みCD

floatingcloud.shop-pro.jp

「サリー」 8th Album 【バチ】 東方輝針城(後半)フルヴォーカルアレンジCD

Flower villageは素晴らしかった。

温度が冷たくないのもgood

しかしサリーは、音の勢いが物足りない。

このDAC、光入力よりUSBの方が良いはず。その点を差し引いて考える必要はある。

 

②ダイナ1F

視聴音源:持ち込みCD

lolita-neurosis.biz

artist.cdjournal.com

Tr15 浸想

 

FOSTEX HP-V8

意外とソリッド。ロリィゼにはまるで合わない。

音の迫力・情報量は凄まじい。しかし厚みの中の味が不足している。

 

・DIDIT HiEnd DAC212 SE(音源:デモPC)

典型的なES9018サウンド。スリムで繊細。実売は高い。

 

・Melidian ULTRA DAC

手の届かない価格帯ではありますが。

温度感が心地よい。

高解像をことさら見せつけないところも好印象。

 

 

 色々聴いても決定打にならないので迷走する、の巻(

 

 

ネットワークオーディオにする必要性がないのに、JPLAYStreamerでネットワーク化する

導入方法は公式HPを参考にしてください。

私の環境はシングルPCモードですが、こちらは比較的容易に構築できると思います。

www.jplay.info

ちなみに、flacdsdのみを再生するのであればffmpegは不要です。

私のlibraryにalacやmp3は存在しないので省略しています。

 

さて、ネットワークオーディオの本質的な存在意義として

「PCの前で選曲するという『場所の制約』から解放される」ことが挙げられます。

Serverに一度投げておけば、androidtabletなどで家のどこからでもアクセスできてプレイリストを組むことができます。

これはスピーカーオーディオの場合、非常に快適なスタイルとなるのではと思います。

しかし私のような据え置きヘッドホンオーディオの場合、強制的に聴取位置はPCの前に固定されますから、わざわざこのようなネットワークを介した構成にする必要はないのですが、「JPLAYStreamerを使用することが一番高音質」であるとどこかで書いてあったので、実際に構築して試してみようと。

幸い、kinskyにはwindows版も用意されていたので、特に躓くこともなく導入することができました。

f:id:les2134:20170326232953p:plain

 

出音について端的に記述すると

「正しくKernelStreaming出力の音が出ている」という印象です。

表現するのが難しいのだけど、今まではJPLAY側でKSに指定しても、音の性格的にはプレイヤー側でASIO出しにしている、その部分が基調として存在していたということです。

「高精細でメリハリがある」のがASIO

「滲んでいるが温かみがある」のはWASAPI

KernelStreaming(KS)は音に引っかかりがなくスムーズに紡ぎ出されます。

パッと聞いて「普通」です。

しかし、それを実際に出すとなると、実は簡単にたどり着けるものではないのです。

 

P.S.

 Vista SP2でWASAPIが登場し、BitPerfectそれ自体は容易に達成できるようになったので(それがPureAudio的な観点からは他のBitPerfectが保証された出力方式:ASIOやKSと全く同一の出音ではないことは、論ずるまでもないことですが)、KernelStreaming出力の存在自体は忘れ去られていたのではと思います・・・

私もXP時代の旧遺産だと認識しておりました。

そんなKSに目を付けたJPLAY開発チームは、碧眼でありましょう。

Audio Current ALT-150

今回の更新もささっと。

オクで安く出てたので衝動的に・・・(12k

クリーン電源の枠に入るのかな?

 notePC:mouse computer製 win10 64bit corei7 8GB

に使用します。

本当はACアダプタを何とかオーディオでも使えそうなものにしたいのですが、

19v / 4.74Aに対応できるものが見当たらないので、とりあえず壁コンに直結している状況だけ変えようと思いました。

「オーディオとPCの電源分離」については、これでようやく達成。

 

これだけでも、結構音の質感は良い方向へ変わるものです。

「何がどう変わったのか」は省略です。簡単更新回ですので(ぇー

AudioQuest「JitterBug」

www.audioquest.com

 

接続方法としては、kripton UC-HRには使わずに、隣接するUSBポートに挿していますが、その先にEVA-U15のアース用USBケーブルが繋がっています。

www.escart.jp

 

この配置になったのは、

 

・単純にnotePCに空きUSBポートがない

・左側2個(USB3.0)、右側1個(USB2.0)の仕様で、右側にはマウスとキーボードが繋がっているハブがありますが、それに対して使うよりは左側のEVA-U15アース用USBに使用しているポートの方が良好な結果が得られたから

 

この2点が理由になります。

 

また、購入初日はKtripton UC-HRに挟む形で直接オーディオに組み込んで使用しましたが、どうも納得がいかない音なのですぐにやめました。

www.kripton.jp

 

というのも、確かにS/Nの改善具合は直接オーディオに組み込んだ時が一番大きいのだけど、どうも直接音ばかり入ってくる印象で、空気感とでも言えるものが消滅してしまったことに加えて、ちょっと音が「明るくなりすぎる」のです。私の場合、ifi iPurifire2と併用していることが、この結果に影響を与えている可能性があります。

ifi-audio.jp

 

「間接的に」影響が及ぶように使用すると、この作為的な雰囲気は前面に現れなくなります。

機器所有者における自由問題と、音の本質について

Aという物を購入した場合、その使用法は「他者に害を与えない限り」原則的に購入者の自由となる。

しかしオーディオという世界では、しばしばその商品の使用方法、さらにはその商品の存在意義自体が揶揄されることも多々ある。

 

アンプやプレイヤーにインシュレーターってやっぱりオカルトなんでしょうか? - Sound Field ~オーディオのまとめ~

(M)アンプ接続部に挟む綿とか、プレイヤーのサイドに置くインシュレーター、アンプの上にのせる専用金属板などなど多彩な商品がございます。が、これって製品に対しての侮辱じゃないかと思う訳ですよ。確かに爆音を出せば部屋全体が揺れますよ、アナログレコードなら音が飛んでもおかしくありません、CDプレイヤーでも同じようなことが言えるかもしれません。だからこそ開発者だったらそこまでちゃんと計算して作っているはずです。早い話優れた製品にはそういうのは不要だねっていう、スピーカーの話です。

>>製品に対する侮辱

勝手に製品開発者の思惑を推量して断定すべきではない。

 

前々から思っていたが、まとめブログの管理人はこうした「自らの見解」を開示することには、慎重になるべきではないか。

 

 

抗議文はこの程度にしておいて(

数か月ぶりに中野に出向いて、PASS「HPA-1」を視聴しました。

Burson Audio Conductor V2+

→PASS HPA-1

 →HD800

 

DCHP-100と基本的な傾向としては似ています。正常進化形とも呼べるのではないかと。

クリアかつワイドレンジで、低音に十分な量感を備えています。

近年の高価格帯はバランス接続対応が当たり前な雰囲気でしたが、PASS HPA-1はRCA入力→シングルエンド出力。

非常に充実感のある音です。空間表現重視で一定の距離を保つ鳴り方よりも、音像の実在感を取りにいったのかなと思いました。

「ヘッドホンらしい音」で、私はこちらの方が好み。

合わせるDACについては、DSD変換するものよりPCMで出すタイプの方が合うような感じがします。あくまで推測ですが。

 

余談。

視聴用PCのプレイリストが「よくわかっている曲(私が普段聴いている)」ばかりで非常に助かりました。

I'veとかDucaとかeufoniusとかやなぎなぎとか。誰ですかあのリストを作成したのは(

 

なかなか視聴することも他では難しい機種です。

今回は何か「お布施」してもいいかなと思って中古のアクセサリーを眺めて、

これを買いました。

 

 あまり期待はしてなかったのだけど、結構これ効きます。

Intensoの足底についているゴムの音というのが、確かに今までは存在していたということがわかります。

つまり、「ゴム足込みで調整していた低音」という要素が外れるということです。

 

さて、ここでひとつ「解釈問題」というのを、無理やり設定してみようと思います。

Intensoは、元々付いているゴム足を接地させるのが「正しい使い方」であり、開発者の目指した音はその条件のもとで達成されるのであり、社外品のインシュレーターを使用することは開発者に対する冒涜である、と。

 

こんなことはわざわざ論ずるまでもなく、そんなことはないのだし、そもそも前提からして様々な点において破綻しています。

 

音というのは、最終的にスピーカー・ヘッドホン・イヤホンで発せられた状態において判断されるものであり、その過程において、

「音の要素を、『特定の部分として完全に分離して捉える』ことは不可能である」ということです。

 

他にも指摘できる点は色々あるのですが、まぁ面倒なので省略します。

とにかく、「正しい使い方、正しい音なんて自分で決めていいし、それに固執する必要もないし、少し脇道に逸れながら戻るのを繰り返してくのが趣味ってものでしょ」

 

そして、その「一見必要性を感じないと思われそうなもの」にこそ、その人の音に固有な『色』として形を残している。

存在しながら死に続けるxx

小学4年の頃。

私は、「私が死ぬ」ことについて酷く恐れていた。

この意識も、眼前の光景も、いつかは全てが永遠の無となること。

一度「それ」に囚われてしまうと、視界は瞬時に暗転し、黒で埋め尽くされた。

 

学校の授業中。

帰宅後、入浴中に。

家族旅行で、動物園に行っていたときでさえ。

 

黒。斑に白い点が見える。それらが、私から遠ざかっていく。

 

それから数週間後、私は原因不明の嘔吐・断続的な吐き気に「一ヶ月も」襲われることになる。

何度病院に行っても、精密検査までも行った結果は、「原因不明」であった。

私は、これを「当たり前のことだ」と思った。そして、決して口にしてはならないということも知っていた。

私にもたらされたものは、私自身が生成しているだなんてことは、決して。

 

この「体調不良」は、母が犬を飼うことを提案し、隣町から子犬をもらってきたことにより一応の回復を迎えた。

 

 

あれから12年後。

私は、「自死問題」を解決するべく、哲学に傾倒する。

実際には、中島義道の「哲学専門書以外の著書」ばかり、読んでいたのだけど。

 

「この世界は確固としたものだという錯覚に陥るのは、言葉のせいである。

…言葉が刻々と変化し続けるものを、時間が経過しても変化しない「一つの物」とみなす錯覚に導くのである」

 

この一文は、大きな手がかりとなったことをよく覚えている。

他にも、彼の無数の言葉は私の「世界認識」に明瞭な輪郭を与えてくれた。

 

 

 

 

それでも。

「認識」はできたとしても、それがただちに「この私の死」の解決には繋がらなかった。

相変わらず、死は「それを考えだしたら、恐ろしいのに、やめることができない」ものであった。

 

 

そんなある日、突然、私は鮮烈な音楽と出会った。

www.youtube.com

密やかな恋に落ちた。

ロリィタノイロォゼ

 

私はこれまで様々な同人音楽を聴いてきたが、この感覚は、全く初めてのものだった。

この世界は、彼女にしか創りえないものだと、すぐに直観した。

 自家通販のメールフォームから在庫のある作品は全て注文し、1週間後に1枚を除き到着した。

残りの1枚は、在庫がなかったのか、それとも同梱し忘れたのか、さらに1週間後、茶封筒に手書きの文字で書かれて送られてきた。

 

毎日、欠かさず再生した。

何度も何度も、完全に記憶していても、全く飽きることはなかった。

そして今日、ある曲のplaycountは300回を超えた。

私が、ここまで特定のartistに入れ込むのは初めてだったし、今後もないのだと思う。

 

 初めて聴いた日から、半年が過ぎたころ。

このtweetを投稿したときから、今思えば、無意識下において私の中で何かが変化し始めたのかもしれない。

私は、あまり中島義道の著書を読まなくなっていった。正確に言えば、読まなくなっていったこと自体、意識することがなかった。

正面から、抉じ開けることに疲れてしまったのかもしれない。

面倒な、捻くれた、それでいて脇目も振らず、「強引に力強く」語られるより、

ただ、純粋に心地よい気分になれる時間を、自然と選んでいた。

 

 

段々と、日々の仕事が、私自身を吸収していく。

大学を出てから、あまり社会に適応できなかった私だけど、今の場所は、どうにかなりそうだ。

「他者一般」は恐ろしいけど、「今、私の周りにいる人々」は、怖くない。

やはり私は、溶け込んでいるようなわけでは、ないようだけど。

それでも、「私の間合い」を受け入れてくれている気がする。

 

 

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 私はいつから、「この私」であることを固定化してしまったのだろう

細胞も、何ヶ月か経てばすべてが入れ替わってしまうそうではないか

記憶だって、「私がこのように断定した」だけであって、そのほとんどは事実と隔たりがある

事実でさえ、私がその事象に対して「正しい」というラベルを貼りつけただけなのではないのか

 

私が今、「生きている」

これも、「生きている、と定義している」に過ぎない

 

・・・・・・

 

全ては、私が決めていいんだ

世界の側から与えられるような錯覚に陥ってしまうだけなんだ

 

「14時57分に私と会話を交わしたT氏」は、今は存在しない

17時10分。私の眼前に存在する者に、私は「あのT氏」という意味を与えた

 

「この私」についても、何ら変わることはないのだ

 

私は絶えず生起する

私はその都度、消滅する

ただ、その無数の発生と消滅の中から

まったく気まぐれに、適当な幅をもって「私は生きていた」と表現する

 

ただ、それだけのこと